[ヴァイオリン奏者、ヴィオラ奏者、作曲家、講演家]
心臓と目に障害を持って生まれ、高校時代にほぼ視力を失う。
筑波大学附属盲学 校高等部本科音楽科、同専攻科音楽科を卒業。
障害者向け職業訓練施設で学ぶか たわら音楽活動を続け、
ボランティアで幼稚園、高齢者施設、病院等で演奏を披 露しながら
演奏家、作曲家としての技量を磨き、
24歳のときにファーストアル バム、『Sincerly Yours』をリリース。
その後もおよそ1年に1枚のペースで新 作の発表を続け、
現在までに17枚のCDをリリース。
その間、NHKラジオの番 組テーマ曲に『ようこそ楽登(がくと)王国へ』、
『いちご畑と青い空』が採用 された.。
他、TBSラジオ、北日本放送、FM大阪等の番組でも自作の曲が採用さ れ、
その活動はテレビ東京のドキュメンタリー番組『生きるを伝える』でも紹介 される。
「過去は変えられる、マイナスをプラスに」をテーマに、逆境を反転させる心構え、
行動について語る講演は、学校や企業からの依頼も多数。
2014年には初 の著作、『見えなくなったら希望が見えた』(KADOKAWA)を出版。
毎日新聞社発 行の点字新聞『点字毎日』で「幅広おすすめCDレポ」を連載中。
現在、年間150本以上のライブ演奏、30回以上の講演を全国各地で展開。
文・穴澤雄介
☆プロフィール以上、自伝未満(?)。
私穴澤雄介が、大まかにどんな人生を歩 んできたのかをご覧いただければと存じます。
これだけを見ていると、「超悲惨 な人生」と解釈する方も、きっとおいででしょうね。
でも私、今となっては、「 本当にこれでよかった」と感じているのです。
そう、「もし生まれ変わったとし ても同じ人生を歩みたい」と、心から思えるくらいに…。
1975年3月29日、穴澤雄介君という男の子(つまり私)が誕生しました。
なんともぎりぎり感あふれる誕生日ですよね。 ぜひ、「みにくい穴澤」と覚えてくださいませ。
ちなみに父は、私が生まれてくるまで、「女の子だろう」と勝 手に決めつけておりましてね。私、なんと穴澤春菜ちゃんになる予定だったそう です。
心臓と眼に障害を持って生まれてきた私…。
でも、眼の障害は子供の頃は 大したことがなくてですね。
小学5年生の途中までは、確か視力も0,8くらい ございましたから、さほど苦にしていませんでした。
けれども問題は心臓のほう でございましてね。
なんでも紫色の顔をして生まれてきたそうで、即入院という ことになってしまいました。
入院に際して必要なのは名前…。「息子さんのお名 前は?」と聞かれた父は、慌てて男の子の名前を考え、そして雄介という名がつ いたそうです。
私は2歳くらい(?)までは、ほとんど入院をしていたようです 。
その後も短期入院や通院は、頻繁にございました。
ヴァイオリンという楽器を初めて手にしました。
きっかけは、あまりよく覚え ていないのですが、幼稚園の頃の仲良しの友達と一緒に習い始めましたから
おそらくお互いの親同士で、「一緒に通わせてみましょうよ」なんて話になったの ではないでしょうかね。
名のある先生についたわけでもありませんし、練習も大 嫌いでしたし
不器用なくせに我が強くて先生の言うこともあまり聞かず、本当 に素質0でしたね。