市川市立幸小学校(千葉県)に入学。
当時小学校低学年の音楽の授業で教わる 楽器と言えば、ハーモニカでした。
私は夢中で色々な曲を吹きましたね。父もハ ーモニカが好きで、とても上手でしたから
その影響もあったでしょう。けれど もヴァイオリンは、なかなか好きになれませんでしたね。
私は心臓の障害があり ましたから、体育の授業は制限がかなりございました。
プールには全く入れても らえませんでしたし、もちろんマラソン大会なども不参加でした。
その割には活 発な子供で、学校から帰ると、毎日のように外へ遊びに出かけていました。
友達 と野球やサッカー、缶けりや木登りなどをして駆け回っていました。
大人たちの 心配を余所に、元気いっぱい、ちっとも心臓病っぽくなかったですよね。
まあ、 今もそうですけど…。
小学3年生からの音楽の授業ではリコーダー。
こちらもハーモニカ同様とても 好きで、学校で教わること以上に色々と吹いていました。
私は、子供の頃から比較的、音楽に対するキャパシティーが広かったのかもしれません。
学校で教わる 音楽やテレビアニメの主題歌など、子供が好きそうな曲だけでなく、家にあった レコードで聴くクラシックやフォークソングも好きでした。
そして…、テレビの歌番組の中ではですねえ、流行のアイドルなどではなく、なんと演歌が大好きだったのですよ。
どういうわけか、時代劇と演歌がお気に入りで、「とっつぁん坊 や」などと言われていました。
変わってましたねえ。
小学5年生となり、吹奏楽部に入部。
担当楽器はクラリネットでした。これま た大好きでしたねえ。
しかし、ヴァイオリンは相変わらず嫌いでした。どうにか レッスンをサボれないかと考え
わざと突き指になることを期待して、レッスン 前に野球やサッカーをしに行ったことさえも…。
練習もほとんどしていませんで したから、当然下手で進みもかなり遅く
同じようにヴァイオリンを習っている
クラスメイトの女子から、「ま~だそんなところやってるの?」なんて馬鹿にさ
れていたくらいだったのですよ。
ですからね、私は謙遜抜きに、ヴァイオリンは 完全に劣等生だったのでございます。
これ、本当の話ですよ。
さて、この年の6月、私は最初の心臓の手術を受けることとなります。
子供な がらに、「もしかしたら死んでしまうかもしれない」というプレッシャーをかな り感じました。
とりあえず手術は、この時点としては成功。
しかし…、身体的負 担が弱いところに出たのでしょう。
視力は0,2に低下。その後も、徐々に徐々 に見えなくなって行く一方でした。
文字を読むスピードも急激に遅くなり、学校 での勉強は苦戦。
好きだった読書もあまりしなくなり、何より授業中にみんなの 前で教科書を読まされることが恐怖に感じるようになりました。
友達や周囲の人 たちも、私の視力低下を気にするようになり、それが精神的負担となって行きま した。
やがて、「音楽ならば目が見えなくなってきてもどうにかなるのでは?」 (甘いな、穴澤少年よ)と、漠然と音楽家になることを決意。
音大の付属中学を受験してみようと考えます。
小学6年生になり、受験に向けてヴァイオリンの猛練習を開始。
当時習っていた先生からは、「そういうことであれば、もっと専門的に学べる先生に教わってください」と言われ
新たな先生探しが始まりました。
ですが、私を受け入れてくれるいい先生は、なかなか見つからず苦労しましたね。
ピアノも受験科目にあるので、この頃から習い始めました。
元々劣等生だった上に、音中受験を決めたのもわずか1年前…。
こんな受験生は他に誰もいなかったことでしょう。しかも 、この頃になると、楽譜や教科書は拡大コピーをしなければ読めなくなってきま した。
学校のテストも、時間内に全部読み終えることができなくなってきました。
もちろん成績も落ち始めました。
受験には不利な条件が重なっていました。それでも運よく、見事に合格することができました!!