そんなわけで、めでたく音大の付属中学へ…。と、思ったら…。
もう一つ受験 し、こちらも合格していた、筑波大学附属盲学校中学部へ入学。
もちろん当初の第1志望は音中でしたが、やはり視力低下のプレッシャーを強く感じていま したし
こちらも高等部からは音楽科があるとのこと、そして何より受験に行っ た時の控室の雰囲気がものすごく良かった。
自分よりも視力の低い同級生が、明 るくのびのびとしている姿勢には勇気づけられましたし
視覚障碍者として自立 をする意味でも、こちらを選ぶべきだろうと考えました。
まあ…、音中のほうへ 行っていればですねえ…
受験した時点で男子は私を含めて3人しかいませんで したから…
そういう部分では…、そりゃあそりゃあ天国でしたでしょうけどね え…。
それを思うと、ちょっぴり惜しいような気もいたしますが…。
でも、きっと音中へ進んでいたら、遊んでばかりで、全然駄目だったかもしれませんしね。
さて、中学からは軽音楽部に入部。キーボード、パーカッション、ピアノ、ドラムス、ヴォーカル…。
色々とやれて、とても楽しかったですねえ♪
家庭内では、会社員をしていた父が、自営で貿易会社を始めました。
当初は、それなりに業績も悪くなかったのだと思うのですけどねえ…。
この頃になると、いくら拡大コピーをしても、楽譜を見ながら演奏することが 難しくなってきました。
ヴァイオリンのレッスンでは大苦戦。
楽譜が見えないために、読み間違いをしてミスをしただけだとしても
先生は容赦なく、「その音違う、そっちの音も違う」と怒ります。
一方、軽音楽部ではいわゆる「耳コピ」 という手段で楽曲を覚えることが通常でした。
私は次第に楽譜重視のクラシック音楽を苦痛に感じるようになり、ヴァイオリンのレッスンをサボることが増え
ほとんどやめたに等しい状態となりました。
家庭内では家族喧嘩が絶えず、母は少しずつ家に帰って来なくなり、不器用な がらも父が食事や弁当を作ってくれるようになりました。
やがて離婚。私も少しずつ家事を覚えて行きました。
中学3年生になり、高校受験をどうするのかという問題が浮上。
軽音楽部が楽しくて、夢中になっていた私は、同じ筑波の普通科へ進み、バンド活動がしたいと考え
その旨を進路相談で担任に告白。
「お前、こんな成績で普通科に受かる わけがないだろ!」と、あっさり否定され…。
「じゃあ仕方がないかあ」と、気が進まないながらも、ほとんどやめていたヴァイオリンを、また少しだけ頑張っ
て音楽科を受験。
無事に合格することができました。